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2018.7.18 Posted

細川千弘 (Dr/リーダー) ソロ・ロングインタビュー

「あと1ヶ月。このまま終わるのはくやしいし、このままじゃ終われない」

 

まず、このインタビュー記事を読む方々にお願いしたいことがある。どうかこの記事を最後まで読んでいただきたい。インタビューというよりは尋問のような箇所もあるかもしれないし、細川の口からは公言しないほうがいい本音も出るかもしれない。だがShout it Outが解散するまであと約1ヶ月半というタイミング、2018年6月27日に行われたこの取材の場で、2年半という僅かな時間だが彼らを追い続けてきた人間から、このバンドのリーダーである彼に伝えなければいけないことがあった。細川は解散発表時の公式コメントで山内彰馬の意思を尊重するという旨を発していたが、そのとき彼自身はどんな心境だったのか? 正式メンバーとして加入して2年半、彼はリーダーとしてどう務めてきたのか? 残り1ヶ月と少し、彼はどんな心境のもと、このバンドでどのような青春を過ごすのか――。

 

取材・文 / 沖 さやこ

 

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◆彰馬と俺は同じものをかっこいいと思っていたんですけど、そこがずれてきた

 

――まずは時系列を整理しましょう。解散を正式決定したのはいつですか?

 

僕らから事務所に話したのは2018年の2月くらいでした。それで5月にレーベルと事務所と僕らで話し合いがあって、ツアー(2018年3~5月開催、「GOODBYE MY TEENS-延長戦-」)を終えたあと公に発表しました。(山内)彰馬はだいぶ前から漠然と解散を考えてはいたみたいで――ちょろちょろと「バンドを解散するという選択肢もあるのか」と堅苦しい感じではないんですけど、口にされてはいたんです。

 

――「アフタースクール」は2017年夏に公開された映画の主題歌でしたが、『また今夜も眠れない僕らは』に収録されている曲は解散を決めたあとに制作したものですか?

 

今年の2月から制作を始めて、最初にレコーディングしたのが「また今夜も眠れない僕らは」で、そのあとに「髪を切って」と「さよならBABY BLUE」をレコーディングして、最後にできたのが「鳴り止まない」です。「髪を切って」は彰馬が二十歳になる直前に作った曲で、このタイミングで引っ張りだしてきたというか。

 

――「髪を切って」は19歳から二十歳になるタイミングでこの歌詞ならポジティブに響くけれど、バンドが解散するタイミングで聴くと、まったく別の意味になりますね(笑)。

 

ははは……。そうですね、彰馬のリセット癖が出てるかな。これまでも彰馬はずっと、なにか新しいことを始める前にゼロにしてきてるんです。解散を決めたのもその性質だと思います。

 

――ちらほらと解散を口にするようになる前から、その兆候は見えていた?

 

んー……もともと、2016年の年末に新宿LOFTでワンマン(2016年12月26日開催、「EPリリース記念ワンマンライブ~これから~」)をして、そのあとにチーム内でのケンカがすごくなっちゃって。俺と彰馬の間もそうだし、俺とマネージャーさん、彰馬とマネージャーさん……と些細なことでしょっちゅう揉めちゃってたんですよね。いま振り返ると、本当に些細なこと。それでマネージャーさんが「一度ふたりのかっこいいと思うことをやってみてよ。出たいライブには全部出ていいし、そこから俺が学べるならば、それはすごくありがたいことだから」と言ってくれて。僕らにいろんなことを決めさせてくれるようになったんです。

 

――自由になった千弘さんと彰馬さんはどんな“かっこいいと思うこと”をしたのでしょう?

 

自分たち主導でやるようになって、自分たちが好きなバンドのバンドマンとの交流の輪が広がって、そのバンドを自分たちのツアーの対バンで呼べたんです。それからそのバンドのツアーに呼んでもらえるようにもなったので、それは良かったですね。あと、自分たちのブッキングだと予算的にマネージャーさんが現場に来られないこともちょこちょこあったし、対バンのギャラ交渉とかもやらせてもらうことがあって。それまで俺たちはバンドマンとして自分たちでやらなければいけないことまでマネージャーさんに任せてしまっていたんだなと思いました。それを実際にやることによって、いろんなことに気付けたし、学ぶこともたくさんありましたね。

 

――それが2017年の上半期。そのとき千弘さんと彰馬さんの関係性はいかがでしたか?

 

メンバーもふたりになったからぶつかると1対1になるし、共同生活の中でお互いに不満も生まれて。そのころちょうど周りの同い年のバンドがシーンに出始めて――彼らは自由で、型破りな気質で、彰馬はそういう人間に憧れはじめていたんですよね。俺らもちょっと年齢を重ねて、ちょうど音楽業界に慣れてきたタイミングでもあったから、彰馬も自分を出したい、好きなようにやりたいと思うようになったんじゃないかなと思っていて。

 

――反抗期というか。

 

二十歳になって酒の勢いで物を言っちゃうことも増えて、まさに反抗期ですね(苦笑)。最近彰馬と出会った頃のことをよく思い出すんですけど、言っていることがいまと全然違うんですよ。それまで彰馬と俺は同じものをかっこいいと思っていたんですけど、そこがずれてきた。反抗期に突入してからずっとそんな感じです。

 

――千弘さんにはそういう反抗期はありました?

 

マイペースで活動させてもらえるようになったタイミングで、大人から与えられたものを否定し続けました。それがアウトローっぽいなと思っていたんです(苦笑)。自分たちから「こういうことがしたい」とはほとんど提案しなかったし、音楽よりも遊びを優先することも増えてしまった。そんなとき、Shibuya O-WESTのワンマン(※2017年5月7日に開催)を終えたあとマネージャーさんが「千弘、このあとスケジュールに余裕あるから、1ヶ月くらい実家に帰ったら?」と軽い感じで提案されて。実はその期間は名古屋から東京に通っていたんです。実家にひとりでいるとき、いろんなことを考えて……。

 

――いろんなこと?

 

3日前は600人の前でライブをしていたメジャーアーティストが、実家でひとりでぼーっとしていることに危機感をおぼえた。それ以外にも、いつでも個人練習に入れる環境なのに遊びを優先してスタジオにも入らなかったという自分の怠惰を反省しました。反抗しつづけていたのは、大人になにを言っても許されるような気になっていたからなんですよね。でも東京と切り離されて、ひとりで冷静に考えることによって、僕らは結果を出さないとすぐ切られる立場にあるということに気付きました。

 

 

◆俺らが積み上げてきたことを嘘にしたくなかった

 

――千弘さんは彰馬さんの解散の決断に関してなにか思うことはなかったんですか?

 

あいつは「やりたくない」と思ったことは絶対にできないやつだから。まあ器用にやれるっちゃやれるところもあるんですけど、その状態でShout it Outが活動していくのは難しいと思ったし、俺らが積み上げてきたことを嘘にしたくなかった。このまま活動していくと、いままでのShout it Outと地続きになれない瞬間が絶対に来る、別のバンドになっちゃうと思ったんです。だから彰馬の解散の提案も、わりと素直に受け入れました。彰馬は「俺は一緒にバンドをやるドラマーはへたくそでいい。千弘はうますぎるから、俺と一緒にやるのはもったいない。一緒にやるべきじゃない」って。

 

――「俺よりもっといい男がいるよ」と言って恋人を振る男の人の台詞みたいだけど(笑)。

 

(笑)。彰馬がいまやりたいバンド像は、ボーカルにちょっとイカレたカリスマ性があって、楽器隊がヘタクソでも感情と熱量だけで突っ走るような泥くさい感じなんじゃないかな、と俺は勝手に思っていて。俺は彼女が何人も欲しいとも思わないし、お金持ちになりたいわけでもないし、でかい家も要らない。豪快で荒っぽいロックスターになりたいわけじゃないし、アーティストというよりはミュージシャンになりたかったし、ドラムを演奏する人間でいたいんです。音楽がしたい。だから「うますぎる」と言われたのはちょっと腑に落ちて。

 

――千弘さんのスター性は学校で例えるなら生徒会長ですものね。だけど彰馬さんは生徒会長ではなく学校一の不良が持つようなスター性を求めた。

 

ああ、そうだと思います。メンバーがふたり脱退したあとのShout it Outは、バンドというよりも「俺と彰馬が音楽をやっている場所」という感覚があって。だから彰馬が言うなら……って感じでした。悔しさとかは全然湧いてこなかった。それよりも仕方ないなと思った。

 

――「仕方ない」とは?

 

Shout it Outは彰馬を軸にしたバンドじゃないですか。世間のイメージもそうだと思う。その彰馬がやらないって言ったら、やらないだろうなって。

 

――わたしはShout it Outは「山内彰馬がいま思うことを音楽にしていくバンド」だと思っていました。でも、Shout it Outは「山内彰馬のバンド」ではないでしょう?

 

Shout it Outはまず「彰馬ありきのバンド」というのがチームの共通認識としてもともとあって。彰馬の言葉がShout it Outの言葉であり、僕も彰馬の言葉を届けることを最優先にしてきました。でも彰馬の方向性がShout it Outが世の中に押し出された当時から確実に変わったし、わざわざ外に見せるべきではない姿まで見せるようになってしまったというか。チーム内で誰も彰馬を嫌いになったわけではないんです。でも、その変化について口で説明されるわけではないので、結果としてShout it Outの方向性がわからなくなってしまったというか。

 

――彰馬さんが変わったことはわたしも感じます。『また今夜も眠れない僕らは』は完全に変わる前の彰馬さんを意識しながら彰馬さんが曲を作っているとも思いました。変わったあとの彰馬さんがそのまま出た曲を、バンドで完成させてみたら状況は変わったのでは?

 

もともと彰馬があんまり曲を作ってこなくて。彰馬は曲が降ってくるタイプではなくて、書こうと思わないと書けないタイプだと思うんですよ。曲を作らなかったのは、追い詰められる瞬間がなかったからだと思うんです。彼の原動力は葛藤だったと思うんですけど、俺たちは事務所に所属してからどこかリア充になってしまったから、それがなくなったという気はしていて。だから曲にしなきゃいけない不満がなかったというか。今回のミニアルバムの新曲は、もう彰馬のなかで解散を決めていたから生まれた曲なんじゃないかなと思っていて。

 

――千弘さんや事務所への不満は直接言えばいいから曲にする必要もないですしね。2016年の9月に作曲ができるメンバーが脱退してしまったことで、彰馬さんに負荷はかかっただろうなとは思うけれど。

 

さっき沖さん(筆者)が言ったとおり、変わったあとの彰馬に完全に振り切って曲を作ってくれたらな……とは思います。あいつはShout it Outのイメージである青春、10代、若さ、青さというものが嫌いになりつつも、頭のどこかに常識的な考え方を持っているから、Shout it Outのイメージを壊してはいけないと制御してしまった。ただ、腑に落ちない場面で歯を食いしばるのは社会では誰もがやっていることで、やるべきことはちゃんとやるべきだし、やりたくないことならせめて真剣に向き合おうとしてくれている人には、考え方や感性が違うとしても、怒りを行動で示すだけではなく「なぜ、どうして」を伝える必要があった。ミュージシャンなんだから不満のはけ口を音楽で表してくれていたらいちばん良かったとは思います。そして俺も唯一のメンバーとして、そう導けるように根気強く向き合うべきだったかなと。

 

――Shout it Outには青春、10代、若さ、青さというイメージももちろんあるけれど、わたしにとってShout it Outの最大の魅力は、ソングライターでありフロントマンである彰馬さんと、彰馬さんの曲を信頼したうえで自我を持ってドラムを鳴らす千弘さんという、タイプがまったく違うふたつの色がせめぎ合っていることでした。山内彰馬のソロプロジェクト的なバンドではないから、Shout it Outは歌ものと呼ばれる日本のロックのなかでも異彩を放っていた。

 

ああ、ありがとうございます。自分よりうまい人がたくさんいるのは当然なんですけど、「千弘にしか叩けないタイム感ってあるよね」と言われることがちょこちょこあって。だからドラマーとしては我を出したいとは思っています。

 

――千弘さんがサポートドラマーとして入ったのが2015年の秋。正式メンバーになったのはその年の年末。まだ2年半ですよね。解散という決断は早くない? それなら活動休止でも良かったのでは?

 

マネージャーさんからも解散を反対されて、「再び動かせるように活動休止にしたらどうか」とも言われました。でも活動休止と謳って活動を再開しないバンドも多いし、そのまま解散するバンドもいて――そういうのはいやだったんです。活動休止と謳うなら復活する日を決めておいて、それまでの期間でじっくりスタジオに入って、熟した状態で復活するべきだと思っていて。でも僕らはこの先Shout it Outとしてふたりでステージに立つことはないと思ったんです。ビジョンが見えなかった。いまよりも良くなって復活する想像も約束も、俺はまったくできる自信がなくて。だから解散と打ち出しました。

 

――「ビジョンが見えない」というのは、彰馬さんと音楽をやりたくない、ということ?

 

そのマネージャーさんとの話し合いで「解散と言うのならば、今後Shout it Outの楽曲を一切歌わない、と言えるくらいの覚悟はある? それくらい覚悟が固まっているなら、反対はできないけど」と訊かれたときに、彰馬が「はい」と即答したんです。例えば僕は解散後にSNSのプロフィール欄で自ら「ex.Shout it Out」と打ち出すつもりはない。何かのタイミングで元・Shout it Outと紹介されるのは、いままでの人生を肯定されるようで嬉しいと思うけど、過去の実績をぶら下げなければ価値をわかってもらえないミュージシャンにはなりたくないから。だから彰馬がそう即答したことは理解できます。で、彰馬がShout it Outの曲を歌わないなら、俺が彰馬の後ろで叩くこともないな、と。解散を持ち出されたときは俺も、彰馬と俺のかっこいいと思うものが違うものだと感じているときでもあって。でも解散が決定してまず思うことは、聴いてくれている人たちや関係者のみなさん、関わってくれた人たちに本当に申し訳ないという気持ちで。でも……解散するしかなかった。

 

 

◆「これが俺たちの青春でした」という綺麗な言葉のまま終わってしまう、それは怖い

 

――お話を聞いて、いろんな事情があることもわかったうえで、Shout it Outはお互いが向き合うことを避けた結果の解散という気がしています。彰馬さんが自分の理想だけで突っ走ることも曲を作らないこともラクなことだし、千弘さんが彰馬さんの言うことをそのまま受け入れたのもラクなことじゃないかしら。

 

……そうですね。曲を作ってスタジオに入って、というバンドのルーティーンがなかったのは事実なんです。1年で100本以上のライブをやっていながらセットリストが毎回同じで、ライブがマンネリ化してしまっていたので、出来るだけ早く作ってくれとは言っていたんですけど。新曲ができないからライブ前にスタジオに入る必要もなくなって。やっぱり切実な問題でしたね。

 

――ソングライターに曲を作ってもらう環境を作るのは曲を作らない人間の務めでもあるとも言えるし、ソングライターが曲を作らないというバンドにとって致命的な状況を救うのはリーダーの務めでは?

 

ああ……。俺は曲を作る大変さがわからないから、彰馬に強く言えなかったのは事実と言えば事実です。どんなものであれ、ひとまず曲にしてみないと、なにも進まなかったですよね。

 

――あと、楽器隊であるリーダーが力を尽くすべきだったのはサポートメンバー。正式メンバーにするならばもっと団結力を強めてスパルタ教育するべきだったし、するつもりがなかったならもっといろんな人とコラボレーションして毎度新鮮な空気を作るべきだった。

 

それはもう……僕らもつくづく痛感しているんです。そもそも事務所から紹介されて出会ったサポートメンバーだったんですが、短期間で楽曲を覚えてくれて、駆け出しの2人体制において演奏面でのプラスをもたらしてくれました。俺としてもフルアルバム『青年の主張』を作るメンバーを正式メンバーに迎えられたらと思って制作に臨んでいたので、ひとまずそのメンバーで『青年の主張』のツアーを回ってみたんです。自分もサポートメンバーとしての期間を経験しているぶん、好意的に迎え入れたいと思って自主的にコミュニケーションを図りました。でもツアーを終えて正式メンバーと考えたときに、その4人でShout it Outを名乗るには、まだまだクリアしなければならないことがあるなと。

 

――そこでサポートメンバーを変える発想は生まれなかった? 継続的に弾いてくれる人が見つからないなら一般公募という方法もあったでしょう? 千弘さんたちと同年代で、Shout it Outに入りたいという才能のあるギタリストとベーシストは全国にたくさんいたと思いますよ。

 

ああ、そうですね……。俺、視野が狭すぎましたね。いま言われて確かにそうだなと思うけど、あのときはそんな発想がなにも生まれなかった。事務所からもレーベルからも、正式メンバーにできるサポートメンバーは自分たちで見つけるようにとは言われていたし、バンド仲間や関係者の人からも良い方向に向かっているようには見えないとも言われ、自分たちでも気づいていた。だからといって俺たちは外野の人に積極的に相談はしなかった。人に相談してまでバンドをどうにかしなきゃ、とも思ってなかったかもしれないです。色んな人の力があっての今の立場なのに、Shout it Outを悪い意味でメンバーが独占して、勝手に諦めてしまっていた。彰馬に対してボーカリストとして尊敬している部分は、もちろんいまもあるんですけど、お互いに自分の理想から外れている部分ばかりを見てしまって、バンドを続けようという努力が足りなかったと思います。

 

――千弘さんがリーダーとしてバンドをどうにかしようと奮闘していたら、もしかしたら少しなにか変わっていたかもしれない。

 

……メジャーデビュー前、そのときの俺は個人練習もめちゃくちゃしていて、当時のメンバーに「このままだと日本一演奏がへたくそなメジャーバンドになってしまう」と言ったことがあったんです。その熱量でいまのShout it Outをどうにかしようとしていたら、もしかしたらなにか変わっていたのかも……。こうやって振り返ると、自分たちのペースで活動させてもらえるようになってからここ数ヶ月前までの期間は、ラクなほうに流れてしまった場面が多くて、プロとして胸を張れる時間は少なかったかもしれません。

 

――いまの話をしましょうか。現在はサポートメンバーも様々な人を招き入れてライブをしているそうですね。『また今夜も眠れない僕らは』にはcinema staffの三島想平さんや、KOTORIの上坂仁志さん、FOMAREのアマダシンスケさん、ex.赤色のグリッターの鈴木陸生さんが参加しています。

 

彰馬と俺がそれぞれ、プレイヤーとして尊敬している人にお願いをして。自分が尊敬しているプレイヤーとレコーディングをするのはすごくしっくりくるし、いいものだな……と思いました。最近のライブではギターは陸生くんや、the unknown forecastの岡村(耕介)くん、ex.空中メトロの星衛(一輝)くん、ベースはRocket of the Bulldogsのしょうちゃん(谷川将太朗)や俺の兄貴(細川雅弘/ ex.the unknown forecast)とかに弾いてもらっていて、そのなかで気付けたことがたくさんあるんです。いい意味で緊張感があるし、新しい風をたくさん持ってきてくれるので、さっき言われた通り、いろんな人とコラボレーションすることは大事だなと思って――ワンマンツアーを一緒にまわるサポートメンバーは、こっちからお願いしなくてもリハーサルや個人練習に専念してくれているし、みんな自分のバンド活動で苦労をしてきているぶん、バンドマンとしての下積みの経験値を活かして、プレイ以外の部分でも積極的にサポートをしてくれるんです。こんなに毎日、何時間もスタジオに入っているのはメジャーデビューの頃以来。今回は俺と彰馬からオファーしたので、サポートメンバーに対して責任を感じることもできている。スタッフさんたちからも言われるんですけど、バンドの雰囲気がすごく良いんです。いろいろ気付くのが、ちょっと遅かったかも(苦笑)。

 

――滑りこみで間に合いましたね(笑)。解散を発表したあと、いまのマインドはいかがですか?

 

いまはまだワンマンツアー(7月中旬より開催される1stワンマンツアー「嗚呼美しき僕らの日々」)も始まっていないので、解散とか関係なく、いままでと変わらないようにしています。「お世話になった先輩と最後の対バンか」とか「この地にこのバンドで来るのはこれが最後か」と考えたりはするけれど……まだ最後という感覚はなくて。ワンマンツアー前までに、わりとまだライブがたくさんあるんです。だからまだそんなに変わらないかもしれない。でも解散を発表してからピシッとした気持ちはあって。しっかりしなきゃって。俺らはいろんな人から恩を受けてるし、期待されてきたと思うんです。そういう人たちにちゃんと感謝を伝えたいし、義理は守らないといけないなと。1本1本大事にしたい。あとは、公に怒りや不満ばかり口にしてきたけど、感謝も口にして、態度で示さなきゃなと。SNSやインタビューでのいろんな言動から、大人と上手くいかなかったというレッテルを貼られる機会が増えてしまったんですが、僕ら的には学校や社会で誰もが不満を持ったり愚痴ってしまうレベルのもので、そこまで大それたことではないとあえて僕の口から言っておきたいです。自分たちのことをサポートしてくれた大人の方に、大前提としてちゃんと感謝も尊敬もしています。

 

――そういう気持ちを持つのは立派だし大事なことだけど、もっと千弘さんの個人的な気持ちが知りたいな。Shout it Outがあと1ヶ月で解散するという状況で、リーダーの細川千弘はどういう心境なんだろう?

 

そうだな……いまパッと思いついたのは、つらい、かもしれない。でもなにがつらいんだろう? いや、やっぱり「つらい」じゃない。くやしいっす。このまま終わるのはくやしいです!

 

――というと?

 

いまのShout it Outのままワンマンツアーをやったら、器用にやり過ごして、「これが俺らの青春でした」みたいな上っ面の綺麗なことを言って終わっちゃう気がするんです。例えば俺たちがShout it Outを続けたいと言っていても、これまでの実績や姿勢でもう少し続けていたら、この先で事務所やレーベルから契約更新をされなかった可能性だってあるわけで。このタイミングで自ら解散を決断したことを、美談にしすぎてはいけない。なのにこのままだとホームページに掲載された文章のまま綺麗に終わっていってしまう――そんな気がしました、いま。

 

――いま(笑)。

 

はい(笑)。ちょっと怖くなりました……。さすがに血の気引いたっすね。

 

――Shout it Outは未確認フェスティバルでグランプリを取ったけれど、あれは表舞台のスタート地点だと思うんです。おまけに千弘さんが加入したのは大会のあと。それでShout it Outが解散したあとに残るものはなんでしょう? 彰馬さんは公式コメントで「Shout it Outのとどめ」という言葉を使っていましたが、あと1ヶ月で千弘さんはなにを残す?

 

オリジナルメンバーは彰馬だけかもしれないけど、俺がShout it Outとしての看板を背負って活動してきたのは脱退したオリジナルメンバーよりも濃くて長い自負があるし、俺はそこには意地を張りたいというか。その意地があるからこそ最後までプロ意識をもっていたいし、最後までかっこよくなっていたいし、最後がいちばんかっこいい状態でいたい。それが俺の「とどめ」ですね。

 

――あと1ヶ月、まだまだShout it Outは育っていくということですね。

 

この1年、俺が彰馬とぶつかることを避けてきたのは事実なんです。それは彰馬も一緒で、彰馬も俺とぶつかることを避けてきた。それはふたりとも、ぶつからないほうがぎくしゃくしなくてラクだからだと思うんです。俺も彰馬もライブのステージ上以外で音楽をしていなかったから、心もバンドから少しずつ離れていってしまって、「バンドをどうしよう?」と考えることよりも「明日の昼飯どうしよう?」ということのほうが重要だった。俺は嘘をつくのが苦手だから、彰馬に対して諦めて、バンドに対して諦めて、揉め事を避けるために上っ面なことしか言えなくなって……。でもこのまま終わるのはくやしいし、このままじゃ終われない。最後まで胸張って、Shout it Outのメンバーでありリーダーであることを、心の底から誇っていたいです。